Sweet Spot 物語に見るリハビリテーション
太宰治の「瘤取り」―障害受容の観点から
高橋 正雄
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1東京大学医学部健康科学・看護学科精神衛生学教室
pp.1191
発行日 1992年11月10日
Published Date 1992/11/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1552107237
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太宰治の「瘤取り」(『お伽草紙』所収,昭和20年)には,瘤という「障害」に対する二通りの態度が描かれており,障害受容という観点からも興味深い作品である.
まず右頬に瘤のあるお爺さんだが,彼は50歳を過ぎて瘤ができた時にも,「こりゃ,いい孫ができた」と笑っていた.近所の人は「痛みませんか,さぞやジャマッケでしょうね」と同情するが,お爺さんは「この瘤を本当に,自分の可愛い孫のように思い,自分の孤独を慰めてくれる唯一の相手として,朝起きて顔を洗う時にも,特別にていねいにこの瘤に清水をかけて洗い清めている」.実際,「この瘤は殊にも,お爺さんに無くてかなわぬ恰好の話相手で」,彼は孤独な山仕事の合間,瘤にいろいろな話を聞かせていたのである.
そんなある日,お爺さんは山で鬼の宴会に出くわし,得意の踊りを披露する.これを見た鬼達は拍手喝采,すっかりお爺さんを気に入ってしまう.そして,鬼達は「どうもあの頬っぺたの瘤はてかてか光って,なみなみならぬ宝物のように見えるではないか,あれをあずかって置いたら,きっとまたやって来るに違いない」と思い,お爺さんの瘤を取ってしまう.お爺さんは唯一の話相手だった瘤を取られて少し淋しかったが,しかしまた「軽くなった頬が朝風に撫でられるのも,悪い気持ちのものではない」.結局,瘤を取られたお爺さんは「まあ,損も得もなく,一長一短というようなところか」と思って山を下りるのである.
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