- 有料閲覧
- 文献概要
昭和39年,ベンケーシーを夢みて医学部に入学した.しかし3年の大学生活で早くも夢は破れた.おりしも大学の管理運営問題がクローズアッブされ,そのあり方が問われ始めた時期でもあった.当時,私はセツルメント活動に参加し,毎日のように地域の医療活動の課題に取り組んでいた.地域の様々な条件,チームワーク,組織活動等,セツルメントは色々なことを教えてくれた.とりわけ地域住民の生活に接し,常にそこを起点に医療行為を指向することの重要さを痛感させられた.今ふり返って考えると大きな収獲であった.私は曖昧ではあったが将来の専攻方向を指向し,地域の医療活動と密接な関係をもつ分野に進みたいと願った.これは後に考えたことだが,かつてベンケーシーに強い魅力を感じ夢見た理由の1つは,彼が手術室の中に留ることなく,患者の生活の中に深く入り込んでいく姿勢をもっていたからではなかったのか.それまでのドラマでは見られなかった医師像であり,日本人のもつ医師像とは異質なものを感じたのである.話が横道にそれたが,私は具体的には公衆衛生を専攻しようと考えていた.しかし1対1の人間的な触れ合い,その機会が少ないことに不満が残り,とうとう予防医学の重要性を認めながらも公衆衛生を専攻しょうとは決心しえなかった.また,体育・スポーツ医学への興味も強く,リハを志そうとした背景にはそんな学問的興味も錯綜していたように思える.
かくしてリハ医学の道に迷い込んだのであるが,その当時は忘年会等の宴会の申込みをする場合でも,必ずといっていいほど聞き返された.しかもその挙句「リハビリテーション」などと看板に書かれ,情無い思いをしたことが多い.最近ではほとんどそのようなことはなくなり,リハという名称だけは一般に広まったことを知り感概深い.しかし,リハ医学の内容に対する一般の理解には誤解が多く,何か福祉と同義語のように使われている.リハ医学をいかに福祉から切り離すか真剣に考えねばならない.また学問の発展が,とりわけ臨床分野においては社会のニードと密接な関係をもつ.その観点からも,一般社会のリハ医学に対する正しい認識を育くむことは重要である.
Copyright © 1976, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.