ひと
第5回高木賞(昭和46年)を受賞された広島県肢体不自由者リハビリテーション協会理事長 佐藤俊之(さとう・としゆき)先生
明石 謙
1
1岡山大
pp.234
発行日 1973年2月10日
Published Date 1973/2/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1552102878
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明治35年生れ,昭和5年に千葉医科大学を卒業後,昭和9年に東大高木教授の門下に入る.間もなく日支戦争,太平洋戦争に応召され,陸軍船舶衛生隊に入り,終戦をむかえたときの生存者は105名中わずか35名だった.それから広島県での活躍がはじまる.郷里の村に国から費用を出させ,一部自費を投じて病院を建て,ほとんど無報酬で働き,薬のない折から薬草を栽培し,栄養指導のため山羊や鯉を飼うことまで指導,日本ではじめて国保の7割給付をはじめた.さらに高木教授の指示により広島県内の肢体不自由児の巡回検診を行ない実態をしらべた上で「若草園」を立てるべく奔走.昭和28年に設立,さらに他の施設も含めて本格的なものを作るため西条に移転を計画した.このときの県知事に対する猛烈な陳情は,知事公舎への朝がけ,知事室での坐り込みなどで有名である.また他の県に先がけて義肢装具の講習会を毎年行なったり,Towerの導入でも知られている.その果敢な行動力から,渾名は「森の石松」,「田舎さむらい」,「野武士」など面影をうまくとらえたものがある.高木教授の考えに共鳴し,それをまっしぐらに実現された点,門下の5指のうちに入ると言われている.今後の御健闘を祈る次第である.
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