Sweet Spot 文学に見るリハビリテーション
中原中也の『泣くな心』―当事者から見た作業療法
高橋 正雄
1
1筑波大学障害科学系
pp.372
発行日 2009年4月10日
Published Date 2009/4/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1552101493
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中原中也(1907~1937)は昭和12年1月9日から2月15日までの1か月余り,千葉市の中村古峡療養所に入院している.中也は29歳にして精神科の入院患者となったわけであるが,中也が入院中に書いた『泣くな心』(中原中也全集・第二巻Ⅱ,角川書店)という詩には,当時の精神科の作業療法に対する率直な疑問が詠われている.
『泣くな心』における中也は,自らの精神科病院への入院の原因を幼なき長男文也が亡くなったことに求めて,「私はかにかくにがつかりとした.その挙句が此度の神経衰弱,何とも面目ないことでございます」と嘆いている.しかし,その一方で入院中の作業の内容については,「日々訓練作業で心身の鍛練をしてをれど,もともと実生活人のための訓練作業なれば,まがりなりにも詩人である小生には,えてしてひょつとこ踊りの材料となるばかり」と,自分には向いていないと批判する.中也は,詩人と生活者ではそもそも必要とされる資質や能力が異なるという観点から,生活者に必要な訓練は詩人の害になりかねないとして,次のように述べるのである.「芸術といふものは,謂はば人が働く時にはそれを眺め,人が休む時になつてはじめて仕事のはじまるもの,人が働く時にその働く真似をしていたのでは,とんだ喜劇にしかなりはせぬ」,「これも何かの約束かと,出来る限りは努めてもをれど,そんな具合に努めることは,本業のためにはどんなものだか」.
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