名詩鑑賞
春の日の歌—中原 中也
長谷川 泉
pp.44-45
発行日 1952年5月15日
Published Date 1952/5/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661907059
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中原中也は軍醫の家に生れた。幼い時は神童の名があり,山口中學に優秀な成績で入學したが,學業はその後かんばしくなかつた。本を読めば1日ですむところを學校では1年かゝつて教えるのに不滿を持つていた。大正13年16歳の時,詩人富永太郞と知り,その富永の紹介で小林秀雄と相知るにいたつた。德永は14年に死んだが,この短い親交は彼に大きな寄與をなした。小林秀雄との交友は彼を世に認めさせるに大きな寄與をなした。彼は一種の早熟兒であつた。彼は16歳の中學生の頃,既に同棲していた。その對手の女性の語るところによれば,知り合つて間もない頃,京都を一緒に散歩していた時「あのー一寸女郎買い行つて來ます」とうすあかりの軒燈の立ちならぶ横町へはいつていつたという。富永太郞との交友はあたかもベルレーヌとランボオのそれの如く,太郞は彼の家に入りびたつていた。その家には同樣の泰子がいた。中也より3つ年上であつた。中也と太郞は詩論をたゝかわせ,詩論にあきると二人つれだつて町々を歩きまわつた。二人ともお釜帽子に毛を長くなびかせ,パイプをくわえて,ゆつくり散歩する姿は京都の古びた町に似つかわしく人々に見送られていたという。
彼はダダイスト高橋新吉に共鳴を持ち,タダイズムの詩を書いた一時期があつた。彼は「こんなやさしい無辜な心はまたとないのだ。それに同情のアクチイビテイが澤山ある。
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