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あとがき
山田 俊幸
pp.216
発行日 2017年2月15日
Published Date 2017/2/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1542201116
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昨年,スウェーデンで会があり,首都ストックホルムに立ち寄りました.“下見に行ったの?”と秀逸なジョークをいただきましたが,いうまでもなくこの街はノーベル賞のセレモニーで有名な所です.私も観光客として,ゆかりの建物や記念館などを訪れ,雰囲気を味わってきました.若い頃,実験ざんまいの生活をしていた時期があり,ある先輩に“どんな分野であっても研究するからにはノーベル賞を目指せ”と熱く語られたものでした.もちろん,そこまでは夢見ませんでしたが,研究に熱中した思い出は確かにあります.常に思うのです,例えば検査試薬の条件検討でも,それが検査の改良につながり,医療に寄与するのであれば意義あることであると.世の中のために役立つことをしたいと志し,その結果が大きな賞であるとすれば,ノーベル賞は全ての研究の延長にあり,だからこそ,いつの時代も普遍的なステータスなのだと思います.
ノーベル賞といえば,2016年の文学賞は話題になりました.私は,ビートルズにせよ,ボブ・ディランにせよ,全盛期にリアルタイムで楽しんだ世代ではなく,後になってから名声を聞きつけファンになったクチです.ボブ・ディランの歌の歌詞は当初はよくわからなかったのですが,そのメロディーや字余りでぶっきらぼうな歌唱スタイルが,人気フォーク歌手Yによく似ていて逆向きに好きになったのかもしれません.評論家のような物言いで恐縮ですが,わが国のポップスはビートルズとディランを下敷きにしているようなものが多く,彼らは時代を超えたステータスなのでしょう.
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