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Ⅰ.はじめに―カリキュラムとは何か
教育事典(小学館)を引いてみると,カリキュラムという言葉はラテン語のCurro―つまり,“競馬場の競走コース”に由来するとある.この言葉を,学校で児童・生徒に期待される教育内容の系列という意味ではじめて用い出したのは,あの社会進化論や教育思想上の功利主義を唱えたイギリスのH. スペンサー(1820-1903)だということである.
スペンサーといえば,近代学校制度が体制化されはじめる産業革命後の時期に,“近代科学の知識・技術を身につけ,満足感をもって生活できる人間”を学校教育の目標としてかかげ,カリキュラム改造を主張した人物である.いわばこの目標が競走コースの目標(ゴール)であって,このゴールを,最も効率的に達成するために,当時おびただしく蓄積されはじめた近代科学・技術の知識・技能を取捨選択し,系統づけて,そのコースを学校教育の内に設定しようとした.欧米にしろ,日本にしろ近代学校が,社会の進歩とか国家の近代化という目的との絡みで,“教育の私事性”を捨象しはじめて以来このスペンサー流の功利主義,実学主義が,公教育のカリキュラム編成の大きな底流となっているといってよい.わが国の学校教育の出発を宣言した「学制」被仰出書(明治5年)もスペンサー流の学校教育観が濃厚にその影を落している.
話は飛ぶが,現在の時点で高校生が,僕たちは競走馬じゃないといって,卒業を目前に教科書を焼却炉に投げ入んだ事実があったという1).さきのカリキュラムの語源を考え合せてみると,高校生のこの言動はカリキュラムの本質を直観的に見抜いた上でのカリキュラム拒否といえないだろうか.何がカリキュラムの問題なのか.
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