The Japanese Journal of Physical Therapy and Occupational Therapy
Volume 17, Issue 10
(October 1983)
Japanese
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はじめに
理学療法の歴史的な変遷を顧みると,そこにいろいろな発展がなされてきたことが判る.しかし,理学療法の進歩の中で,組織的研究活動を通して生産されたものに,理学療法士の関与がどれだけあったかを考えると,まさに皆無に近いといわざるをえない.
整形外科的理学療法におけるモビリゼーション,経皮電気神経刺激,ツボ・圧点・皮膚節を利用した鎮痛などは他の分野から取り入れられたものである.本来なら,それらを従来の理学療法の運動療法,物理療法などと統合させるために,独自の努力と発想が必要であったが,理学療法士の「研究者」がこの展開に全く関与せず,むしろ鋭い臨床家によって経験的に仮説が立てられてきた.
循環と呼吸器疾患に対する理学療法の最新の進歩を見ても,理学療法士自身の研究によるものはきわめて少ない.これについても,臨床家の経験的感覚で治療技術が考え出されてはいるが,前述したように,他分野の研究業績に依存している面が多い.
中枢神経系の障害に対する理学療法においては,多様な促通手技の華やかな展開を経て,なお現在でも治療体系の確立が完成されていないため,その改善の動きが続いている.この方面に関しては,理学療法士による研究が種々行われてきたが,その成果より臨床的に応用されている手技はきわめて少ない.むしろ,促通手技を開発した理学療法士らの臨床家としての能力が評価されているという状況であって,促通手技の理論的背景にしても,神経生理学の研究業績,特に古典的なものが,合理化のために暖昧な形で組み込まれているという感じが強い.
このような状況において,理学療法士が研究を行う価値が果してあるだろうか.今後の実際的な進歩は研究者による成果よりも熟練した臨床家の直観力,観察力によって導かれるのではないか.たとえ豊かな研究技術を身につけても,理学療法士がその能力を理学療法の将来のために如何にうまく活用できるのか.これらの問題について多くの議論があると思うが,以下筆者の見解を述べてみる.
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