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はじめに
本校は昭和28年,特殊学級として教育が開始され,昭和35年福島県立養護学校として開校した.その後昭和45年福島県立平養護学校として独立し,また昭和43年に校舎,昭和44年には寄宿舎が完成し,それと同時に寄宿舎生・通学生を対象に訓練が開始された.
児童・生徒数134名(うち寄宿舎生と通学生が32名)職員数22名(うち訓練関係はOT1名).訓練は1日平均5時限(1時限は45分)が小・中学校の時間割の中に組み入れられており,2学年1グループで行なわれていた.
1人の子どもに対し機能訓練(現在は養護・訓練と改名)の時間が1週に5回,どんな障害をもった子どもに対しても同じように決められていた(現在は体育の時間と合わせて行なっているので小学1,2年,複式学級の4時限を除き3時限になっている).1時限に来室する子ども数は2名から13名.1度に多人数の訓練をしなければならないうえ,障害はまちまちで,職員不足・室の狭さ・設備不足という悪い状況だった.必要に応じたテストは,ほとんど放課後に1人ずつ残して実施した.訓練計画を立てそれぞれの訓練内容が行なわれるようになったが,全体的に子ども達の状態を把握することが困難で,いろいろな問題を生じた.集団で行なう方法を試みたりもしたが,何とかいい方法はないものかと悪戦苦闘の毎日だった.またPTの要素が多分に多い仕事内容になっていたことは事実である.
子ども数の多いこと,消耗品費の予算の枠がないことがOTを行なっていくうえで非常に困難を増した.種々の店に立ち寄り廃物をちょうだいしたり,また好意に甘えることもしばしばだった.そんな状態の中で比較的重度と思われる児童の過去2年半の訓練経過をたどり,OTが成しえたこと,その中での問題点,さらにこれらの訓練のもっていき方,理想像などを経験の少ない私なりに述べ,読者諸氏からのご指導を仰ぎたいと思う.
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