特集 授産施設と福祉工場
養護学校の実態からみた授産施設のあり方
伊藤 龍夫
1,2
1宮城県肢体不自由児協会
2元宮城県立船岡養護学校
pp.971-973
発行日 1976年12月10日
Published Date 1976/12/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1552103679
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はじめに
宮城県における肢体不自由教育は,昭和30年9月,宮城県整肢拓桃園が開設されると同時に,教育部門として施設内分校が設置されたことに始まる.それから12年後,すなわち昭和42年4月に単独の肢体不自由養護学校(宮城県立船岡養護学校)が創立されるとともに私は初代校長として5年間,学校運営に携わってきた.こうした関係があって,教職を退いた後,直ちに財団法人宮城県肢体不自由児協会に勤めさせていただいているものである.
宮城県立船岡養護学校は,全国養護学校の中においても比較的に歴史が浅いので,送り出した卒業生の数も多くはないが,この数年間,養護学校に在学している児童生徒の障害の種類や傾向をみると,全国的な肢体不自由養護学校の傾向と似ているように思われる.したがって,船岡養護学校を卒業した生徒の実態や現に在籍している生徒の状況等からみて,将来の進路を考えた場合,およそ共通するものがあるのではないかと考えられるので,本校の実態から,授産施設のあり方を検討してみたい.
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