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I.はじめに
前庭迷路に関する学問は耳科学と共に中部ヨーロッパにその端を発し,19世紀中葉までは主としてフランスがその研究の中心であつた。当時のフランスの研究者としてFlourens,Cyon,Meniereの名をあげ得るが,ウイーンこそこの学問の真の礎石が置かれた地と云うべきであろう。ウイーンにおいては当時Urbantschitsch,Politzer,ややおくれてNeumann,Alexanderが出て耳科学発展に大いに貢献し,Baranyも又この地において初めて人の前庭迷路の臨床とその検査法を見出しているのである。この学問はやがて全ヨーロッパへと拡がり更には遠く海外までも普及したのであるが,Baranyの下でウイーン学派の礎が築かれたとほぼ時を同じうして,又は之にやや遅れて,ヨーロッパの各地にウイーンにおけると同規模の前庭迷路の生理と病理の研究所が開設されている。之等各地の研究所では―オランダではMagnusde Kleijn等の人々に指導されている―夫々独自の研究が押進められていたが,各々の研究所ではその研究が独自であつたばかりでなく,一部では特殊とも云うべき研究方法が採られているので筆者はこの書では,前庭迷路研究の中心を各国別に申し述べて行きたい。又この書では,前庭迷路研究の進歩を辿るにあたつて先ずヨーロッパの中心的各研究所,次いでアメリカ(又はカナダ)のそれの活動状況を記載する方針をとつているが,この際各研究所の研究方法の特異性やその指導者の個人的な特徴についても申しのべてみたい。筆者自身40年に垂々とする年月を前庭迷路学の発展と共に送り,その間多数の研究者やその研究所を知り得る機会を得ているので,読者の興味をかきたてる意味で,この書で各所に個人的な覚書や思い出を挿入する自由を許されているものと考える。この書物を世に贈る筆者の意図は,若い世代の研究者にとつては,唯その名前を知っているだけか,又は文献でしか窺い得ぬ前庭迷路学創世期とも云うべき時代を理解していただくためにあるので,この学問が如何なる経過をへて発展してきたかの大略を之等の人々に印象づける様な記述法を採りたい。そしておそらく,この記述は筆者と同年配の研究者にとつては,その当時の興味ある出来事を想起するよすがとなるものと考える。
19世紀には前庭迷路に関してどの様な事が知られていたのであろうか?
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