- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
ドイツにおける前庭迷路研究
ドイツにおける前庭迷路研究は之まで筆者が述べた国々のそれとは一寸異つた状況で初められている。ドイツには数多くの大学にOhrenklinikがあるが,之らのKlinikでは迷路の研究ばかりやつているという所もなければ,又逆に全くこの研究をやらないという所もない。という訳で,筆者が之までの国々で述べた様な迷路研究の中心地となずくべき研究所は見あたらない。ドイツの大学での前庭迷路研究はその時期毎の耳科主任教授が迷路研究に特に熱心な自分の助手に委嘱して患者の迷路機能検査をやらせるとか,又助手達がその研究に専念したいという場合には,もつと広範な研究を行い得る様配慮してやるとかいつたやり方で押進められてきたといつても過言ではない。従つてこの時代の助手連中が,後に自分達のKlinikを主宰する様になると,前庭迷路に注目するのは必然的ななり行きだつたといえよう。彼等は自分達の門下生が前庭迷路の諸問題に興味を示す様,努力もしたし又,その研究を卒先して励行もした。
上述した様に,ドイツの前庭迷路研究の発展を記述するにあたつては特定の中心的研究所がないので,筆者は之までとは異つた方法でこの問題を論じてみたい。即ちこの国の最も有名な研究者を選び,彼等の行つた前庭迷路研究について申し述べるというやり方を採つてみたい。ドイツにおける前庭迷路研究の初期の時代即ち第一次世界大戦時代の研究者といえば,まづWittmaackをあげねばなるまい。有名な組織学者でもあり,又前庭迷路学者でもあるこの研究者は,1911年Bárányと共に選ばれて前庭迷路に関するあの古典的な綜合的報告を行つている。即ち中部ヨーロッパ耳科医学会の席上で,Bárányと彼が初めてこの新しい学問についての報告を行つているのである。(オースタリーの項参照)Wittmaackは遠心力により耳石をフッ飛ばした動物を対象として実験を行っているが,この方法で遠心力を負荷しその前後の反応を検査する事により,耳石経由の反射を追究する可能性が産れた訳である。Wittmaackのこの遠心力負荷法は後に広く一般に普及し,その効果をたしかめられていることは周知の通りである。
Copyright © 1962, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.