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12月卒業と同時に入局した吾等は翌年4月に始めて扁剔の許が出た。それ迄幾度か見學はして居た。久保(護)先生は高橋式のあの直角に曲つた刀で頗る巧妙にパツパツと手術され患者に膿盤を持たせて控室にやつて居られた。先輩達が學會出席で留守中4月に恐る恐る扁剔をやつて見た。注射はすべて0.5%コカイン水1ccに對しアド2滴の割に入れたもの片側2筒4cc用いた。鉗子をかけたが十分引出したかどうか記憶しない刀は高橋式又は久保式鎌状刀を用いた。扁桃上部に附着して居る粘膜に切線を入れ剥離子を挿入して剥離するのであるが,時には淡紅色糊状の物が現われたり,この中に網目状の線が出たり出血して組織が染まり,暫くこの藪の中を夢中に掻いて居ると硬い白い被膜に達する。あとは剥離容易でやれやれと思つた。剥離したら扁桃下極に絞斷器をかけて取つた。又久保(猪)先生は下極をマツケンジーの扁桃刀で切つて居られた。剔出後の創面にはオキシフルを塗布しフイオホルムを散布して控室に送つた。出血がひどい時は綿球を創面に當て,或は其綿球を指でおさえたりした。リコルドをかけた事は殆んどなかつた。入院させる事は稀で大抵は病院前(九大)の宿屋に泊つた。然し後出血は絶無ではなく出血の知らせに病院に馳けつけたり又當直で居合わせると,血塊が創面を充たし咽頭にはみ出して居る。患者は數分毎に新鮮な血液又時に血塊を吐いて居る。血塊を除去すると大出血が起こりそうで血塊には觸れずアドやコカインを附近に塗布したり,高調葡萄糖液やカルシウム等を靜注した。手術日の當直は厭われ,又小使が呼びに來たら出血を眞先に想像する程で扁剔が行われた晩は安眠出來なかつた。この血塊がとれる迄は安心出來なかつた。
術後の疼痛も強く,その晩は粘稠な唾液が出で痛の爲之を嚥下する事も吐さ出す事も困難で唾液は咽にたまり,喘鳴を發し眠りかけると呼吸困難さえ起つて安眠が出來なかつた。順調にゆけば翌朝には唾液が水樣に復し,粥食が可能となるが,嚥下時の痛みは尚1週日位續く。若し創面に血塊が附着したり,周圍粘膜に血液浸潤又粘膜下出血を來たす事もあり,其時は疼痛が數日も甚しく液食しかとれぬ事もあつた。當時扁剔は厄介な手術の一であつた。
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