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私は昭和2年に名大を出て医者になつた。そして家庭の事情から卒業後岡山に行き,故田中文男教授の門をたたいた。そこで5カ年余臨床を研修して,昭和7年神戸市で開業し,現在に及んでいる。田中教授その人は,大学の先生として実地臨床にきわめて熱心であり,実際に患者を診療する事がお好きであつたように思うが,その影響をうけているのか,現在の私は既に還暦をはるかに過ぎているけれどもまだ第一線で働いているし,青年時代と変らぬ情熱をもつて毎日のように扁摘術を行なつている。自慢でもないが,40年余の長い開業生活だからおそらく何千例という自験例をもつているであろう。今回は扁桃そのものの機能や病理的な点には触れないで,近世日本での扁摘術の歴史的なことや,私が現在やつている手術の実際について述べてみたい。ことに保険医療の現今,この手術が一般開業医家から敬遠(?)されている現状にあるのは,国民医療上由々しき問題と考えるので,ここに本題を掲げた次第である。
幸いに私は先日,日本の扁桃手術の初期時代からの推移について,阪大名誉教授,山川強四郎先生から,かなり詳しくご教示を得たのでまずそのあらましを抄記してみることにする。山川先生は大正8年から昭和4年まで,九大の故久保猪之吉教授の所におられたが,その当時の扁摘についての同教室の研究の過程はそのままわが国の扁摘発展の歴史であり,かつその実状を物語つているともいえる。久保教授の「治療及処方」46号(大正13年1月)に発表されている扁摘についての論文により,既に大正2年頃に九大教室では反復性扁桃腺炎などには,その摘出術が行なわれておりまた切除術も行なわれていた事が知られる。その後10年を経た大正13年頃には,常習性の扁桃炎には上記摘出術を行なうことの適応は変らぬが,子供には扁桃切除を行なうように報じられ,その方が摘出に比し簡単で危険も少ないと同教授は記載されているのである。その後昭和6〜7年頃には,同教授創刊になる本「耳鼻咽喉科」誌上に,同教室およびその他わが国のあちこちの大学の教室からの扁摘についての術後成績とか術式の問題,術後合併症,後出血,術後全身感染に対する処置,手術実施の時期の選択などについての多数の報告がみられる。山川先生ご自身も大正14年扁桃周囲膿瘍に罹られ,その切開後,急性炎症の消退を待つて久保教授から扁摘術を受けられた由である。本症に対する膿瘍時摘出を推奨する論文を本誌上に散見するのもその頃である。いずれにせよ当時は現在のような抗生剤がなかつたので,扁桃炎に対する治療ならびに手術に際し,膿毒症などの全身合併症を惹起した報告あるいは術後性出血に苦労したという報告はたくさんあるが,現今のように手術による死亡とそれに関連する医療事故の訴訟や,時により医師が敗訴するといつたケースはほとんどなかつたように思う。以上誌上における扁桃術関係の諸報告は,大学や公立病院からのものが多いのであるが,大正の初め頃,東京の高橋研三先生は,米国から帰朝されて民間の専門家として早くから扁摘術をしておられた方ときいており,また先生考案の扁桃絞断器などのあることは衆知の通りである。
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