読者フォーラム
par avion 海外便り
松村 理司
1
1市立舞鶴市民病院内科
pp.391-392
発行日 1991年7月15日
Published Date 1991/7/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1414900120
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一体いつまで治療?
「"早朝3時,私は,スペイン語しか話せない婦人にまたがって,彼女がいやがるのもかまわず,両脚をこじあけていた.仲間の研修医が導尿カテーテルを挿入しやすいように.たいして適応があるわけでもなかったが,9時の回診で指導医が尿の状態について聞くのは決まり切っていたからだ.内科から逃げ出さなければと痛感したのは,まさにこの時だった."」
「愛想を尽かしたこの研修医は,今は核医学分野に移っていますが,内科における侮辱的なやり方をうまく突いています.理想家肌の青年医師が,自分たちと患者の双方の品位を下げるこういった行為がいやになって内科臨床を放棄してしまう最近の傾向を,どうとらえたらいいのでしょうか.医学の知識が急激に増え,指導医も患者よりも検査結果に重きを置くようになったために,患者を病を抱えた人間と見なすことのできない青年医師が大層多くなっています.見るのは病であって,人間は付け足しなのです.かつては,病の治癒と患者の和みが医学の目標だったのですが,今では,どんな犠牲を払ってでも病気を征服することに変わってしまいました.患者は,こういった戦いが起こる戦場という位置に貶められてしまっています.大きな教育病院の集中治療室ほどこのことがはっきりするところはありません.そこでは患者は,精神状態がどうあろうと,病気が不可逆的なものであろうと,むごい結末に至るまで治療を続けられます.水膨れになり,体中から出血し,輸血や心マッサージのためにぐしゃぐしゃになって死んでゆくという具合です.
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