文学の中の看護
“高瀬舟”と安楽死
清水 昭美
1
1大阪大学医療技術短期大学部
pp.298-305
発行日 1975年5月25日
Published Date 1975/5/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663906886
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筆のみごとさについて
半年病床に伏していた弟が‘早く死んで少しでも兄貴に楽がさせたい’と,かみそりで喉を突いた.兄の喜助は弟に頼まれ,せがまれて,死にきれなかった弟の喉から,かみそりを抜き,弟は死んだ,森鴎外の名作“高瀬舟”のこの筋書きは,江戸時代の庶民の貧しさと病気と思いやる多くの読者の涙を誘ってきた.
京都から大阪まで同道する同心羽田庄兵衛が,護送の乗物である高瀬舟の中で‘いかにも楽しそうで,同心への気兼ねがなければ‘口笛’か‘鼻唄’を始めそうな罪人喜助に‘遊山舟にでも乗ったような顔をしている’と思って気を引かれる書き出しから,読者は思わず引き込まれてしまう.筆致の確かさでは他の追従をゆるさない鴎外のことである.喜助の晴れやかな額や目のかがやきの謎が,‘自分のいてよい所というもの’がこれまでなかったから,‘お上で島にいうとおっしゃって’くれたのがうれしいこと,遠島に際して鳥目(ちょうもく)200文をもらったが,借金に追われ続けた喜助が,はじめて‘自分の金’を持ったので,‘島のしごとの本手にしようと楽しみ’にして喜んでいること,などと解けていくあたりになると,庄兵衛ならずとも‘喜助の欲のないこと,足ることを知っている’のに驚いて,その‘頭から毫光(ごうこう)がさすように思’ってしまいそうになる.
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