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あとがき
大山 学
pp.1112
発行日 2018年12月1日
Published Date 2018/12/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1412205602
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一見同じように見える東京の街も実際にそこで長い時間を過ごすと地域ごとに明らかな違いがあることがわかる.私が生まれ育ち,今も住み続けているのは「城南」と呼ばれる地域にある古くからの寺町であるが,勤務する大学は「多摩」あるいは「武蔵野」と呼ばれる東京の西の地域に位置している.以前の勤務地は新宿区であり,まさに都心であった.これらの各地域に腰を据えてそれぞれを比べてみると,いわゆる下町vs.山の手といった表面的なものではない差異が見えてくる.
どれが優れているなどと言うつもりは全くないが,自由が丘と吉祥寺,そして四谷では全く同じ内装のチェーン店でも,流れる時間や「気配」が違うのである.しかし,それを抽出して言葉にしようとすると実に難しい.例えば,家人との間で「実に城南的」とか「多摩っぽい雰囲気」という会話は成り立つが,各々の言葉が指すものを具体化するのは難しい.それはデータだけでは判断できない「街とそこにある暮らし,人びとの息づかい」をわれわれが感じるからに違いない.
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