文庫の窓から
『聖済総録』
中泉 行弘
1
,
林 尋子
1
,
安部 郁子
1
1研医会
pp.1818-1821
発行日 2009年11月15日
Published Date 2009/11/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1410103025
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掠奪された勅撰医書
『聖済総録』200巻(1111-1118)は,北宋第8代皇帝徽宗の勅によって成った医書である。当館所蔵の文久元年模写『医籍年表』の政和年間の部分には,本草:『本草衍義』,傷寒:『傷寒活人書』,衆疾方論:『聖済総録』,雑説・記傳・養生・運気:『聖済経』とあり,この時期の医書編纂が盛んだったことを伝えている(図1,2)。
徽宗という皇帝は芸術にかまけ,道教に目を眩ませて政治を誤ったとされる人物である。その悪政ぶりは「政治には熱意がなく,道教を信じ,豪奢な生活をして国費を濫費した」(参考文献6)と表現され,国費を賄うために悪貨を鋳造し,官人ばかりが潤うことになるような新法を施行し,批判を浴びた。さらには道士・劉混康の,宮城東北を高くすれば子孫が繁栄する,という言を入れて風水に適った大規模な造園をするために,全国各地から奇花珍石を集める「花石綱」という事業を行うなど,民を苦しめる要因を次々と作ってしまった。
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