文庫の窓から
『外台秘要方』
中泉 行弘
1
,
林 尋子
1
,
安部 郁子
1
1研医会
pp.1392-1394
発行日 2009年8月15日
Published Date 2009/8/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1410102848
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母の病をみる孝行息子
『外台秘要方』(脱稿752年)は唐の王燾が編纂した医書である。『中国醫書本草考』(参考文献2)によると,この王燾は『新唐書』王珪伝に,珪の孫として記事があり,「孫の燾は性至孝で,徐州の司馬となり,母の疾のために年中帯を廃さずに湯剤を作って仕え,しばしば名医に交わって遂にその術を窮め,学んだところによって書を作り外台秘要と名付けたが,討繹精明で世人はこれを宝とした。給事中,鄴郡太守を歴任し,その治績は時に聞こえた。」という。王燾の弟であるらしい旭という人物は,多くの人々を殺したために新・旧の唐書の酷吏伝にその名が挙がっているが,王燾については『旧唐書』に記事はない。
この『外台秘要方』の一番の特徴は,引用した文献の巻次までを含めた書名が明らかにされていることである。こうした編集方法は,王燾が医師ではなく,国家の図書館に自由に出入りできる名家出身の役人であったことと関係していると思われる。自序には「余幼多疾。長好醫術。七登南宮。両拝東掖。便繁臺閣二十餘載。久知弘文館図藉方書等。由是覩奥升堂。皆探其秘要。」とあり,自身の身体が弱かったために書籍を調べ,人に教えを乞うて医術を学んだことが述べられているが,そうした自主的な勉強であるならば,調べ上げた出典を記して,またいつでも読み返せるようにしたかったのではあるまいか。自分の勉強に都合のよいように書き留めてあったものを,最後には後の時代の人へ託すという形にまでまとめ上げたのが『外台秘要方』なのかもしれない。
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