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あとがき
田邉 稔
pp.484
発行日 2024年4月20日
Published Date 2024/4/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1407214514
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アカデミックサージャンになるということ
人生時が経つのは早いもの,2023年度末で大学を離れ関連病院の院長として新天地に向かうことになった.長く外科医として務めた大学,母校慶應から医科歯科へ山あり谷ありの超充実キャリア,それを終えるにあたり,初めて大学スタッフとして恩師北島政樹先生に呼び戻された時のことを思い出す.それは1999年のこと…「4月から帰室してもらうよ」.医局長から当時私が勤務していた東京電力病院に電話があった.肝移植に憧れ米国ピッツバーグ大学に留学,34歳で帰国したものの出張病院で肝移植が出来るわけもなく,大学の外から移植班としての活動を続けて5年目の出来事だった.当時の医局は北島政樹教授の主催する『西暦2000年第100回日本外科学会総会』の準備の真っ盛り,『居場所と仕事は自分で勝ち取れ』との不文律があり,帰室したばかりの“最弱スタッフ”の私は右往左往するばかりであった.そんな私に天から降ってきた仕事は“第100回記念式典”の準備であった.年長のスタッフは皆,自分のキャリアアップに結びつく学術企画等の準備に多忙を極め,皇太子殿下をお招きする記念式典の準備は誰も寄りつかない“重いお仕事”であった.
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