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本号の特集である「転移性腫瘍」で思い起こすのは,山崎豊子が40年以上も前に書いた『白い巨塔』である.遠隔転移をきたした悪性腫瘍は根治がほとんど絶望的で,ひたすら延命効果をはかる治療計画が立てられなければならないのに,主人公の国立浪速大学附属病院第1外科教授である財前五郎は噴門部癌患者の肺転移を見落としたまま胃全摘術を行った.患者は術後,胸部転移巣の急速な増悪をきたして癌性肋膜炎のために手術死亡し,財前はその当時としては稀であった医事裁判の被告となる.地裁の第1審では無罪となったが控訴され,高等裁では逆転して有罪判決を受ける.その時,財前は言い放った.「最近,医療過誤が社会問題化しつつある時に,こんな判決がまかり通るとなれば今後,多くの医師は,積極的な診療を尻込みするだろう,医療の本質には,常に或る程度の危険が内在しており,われわれ医師は,絶対,悪意なき過失を侵さぬとは云い難い,(中略),このままでは医学界全体が“為さざるに如かず”の萎縮医療になる危険がある」
財前の言葉はそれから40年経った現在でも新鮮であり,医療紛争が日常化し外科医が減少傾向にある今日,あらためて医療側から巻き起こっている.この論理そのものには一理あり,多くの医師が支持すると思われる.しかしながら,山崎豊子が悪役として描いた財前は患者の死を悼むことなく,また,不誠実な対応が患者側の不信を招いたことに思いを致すこともなかった.ただ保身のために自身の過失を隠蔽したうえで,この発言を行った.医師の論理が患者に受け入れられるためには,その姿勢・行動が患者の納得のいくものではならないのは昔も今も同じである.医学が進歩して,転移性腫瘍を含め,不治と云われる疾患がたとえ完全に治癒できる世の中になったとしても.
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