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あとがき
平山 恵造
1
1千葉大
pp.205
発行日 1981年2月1日
Published Date 1981/2/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1406204722
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杉田玄白が解体新書を著わすに当つて多くの苦心を重ねたことはよく知られている。蘭学の辞書のないような時代に,しかも内容の十分には解らない書を翻訳するということが並み大抵のことでなかつたことは,われわれが想像する以上に大変なことであつたに違いない。しかし,私がそれ以上に敬意をはらい度いことは,それまで日本にはなかつた医学用語,あるいは臓器の文字を新しく造つたことである。
われわれの専門領域である神経学あるいは神経内科の「神経」という言葉はオランダ語の「セーヌー」の訳語であるが,これを神経と称したことは原語以上の価値ある用語といわねばなるまい。セーヌーはドイツ語のSehnen (腱)に相当する言葉である由だが,解剖屍体でみる腱と神経は一見よく似ていることは学生時代の解剖実習の頃を思い出してみれば容易に理解される。従つてセーヌーはその形態から付された名前かと思われるが,今日,われわれは神経の類似点を腱に求めることはない。むしろその機能面をも捉えた言葉として「神」の通る「経路」はうつてつけの用語である。漢字は中国のその昔において用いられ,わが国に渡来したものであるが,逆に日本から中国に輸出された漢字に「神経」があるやに聞いている(少し横道にそれるが,現在中国ではDepartment ofNeurologyを神経内科と訳していることを付記しておこう)。まさしく日本で造られた漢字を使つた言葉である。
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