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あとがき
小川 鼎三
pp.63
発行日 1952年1月1日
Published Date 1952/1/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1406200254
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近ごろ米京ワシントンの神經病理學者,W. Haymaker博士の來訪があつた。同氏は戰後のドイツの事情をつぶさに知つておられ,いろいろとその話をしてくれたが,ベルリン郊外のブッフにあつたあの宏壯な腦研究所の建物はいまでは癌の研究所になつている由,またSPatz, Hallervorden, Kornmuller, Tonnisらの嘗つての幹部たちが西獨の各地に散らばつているとのことで,まことに今昔の感にたえない。また西獨のどこかにマックス・プランク腦研究所ができたという。カイザー・ウイルヘルムという名前がこんどは物理學者のマックス・プランクにかわつたものらしい。Vogt夫妻はNeustadtにあつてなお健在であり,先般Oskar氏80歳と,CéciIe夫人75歳の誕生を祝賀する集りが開かれた。
東大醫學部の腦研究室はその潰れたベルリンの腦研究所とは同日に語ることができないほど建物も陣容も小さいものであるが,これでも創立以來,15年のあいだどうやらつずいてきて,いま記念講演會を開いて,過去の足跡を一應かえりみる立場にある。建物は小粒であつても,それは中にいる人間の考え方まで制限することは決してない。われわれは昭和11年以後,脱兎のごとくすゝんでいつて,數年のあいだある程度の効果をあげえたとおもう。しかし戰爭がはげしくなつて人員がひどく減り,動物を飼うことがむずかしくなつて,研究の進みもにぶらざるをえなかつた。ついに貴重な標本や機械の一部を山形縣の田舎に疎開した。しかしその間でも東大の内部での腦研究は決して中止はしなかつた。
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