- 有料閲覧
- 文献概要
Hofrat Prof. Heinrich Oberstei-ner先生のことども,
大正9年の夏のことである,私はSchweizのZürichでProf. Clairm-ontのクリニクで,手術を見たり臨床講義を聞いたりしていたところ,呉秀三先生が日本より御見えになつた,先生は傳研宮川教授と御同道であつた夏のSchweizで暑を避けて山や湖水を觀賞されておられたので,北大の中村豊教授及び小生等も御伴をしてインターラーケン,ユングフラウ方面を廻つたことを思ひ起す。10月の初めにいよいよOesterreic-hのWienに呉先生が行かれることになつたので小生及び中村教授も又々御伴をすることになつた。Sch-weiz及びOesterreichの國境で新聞をかつて見たら,Wien—大學の病理學のWeichselbaum教授が逝去されたことが出ていた,Wienについて神經學教室に呉先生と共に訪問した所,Obersteiner先生は70歳停年で職を退かれ,名譽教授として教室に時々出ておられた,主任教授はProf.Otto Marburg先生である,呉先生の御紹介によつて,小生は此の教室に二年いた,Obersteiner先生はWäh-ringerstrasseをずうつとWiener Waldの方へ行つた閑靜なところに立派な御住居をもつていられた,呉先生に御伴をして御茶によばれたが,Ob-ersteiner教授夫人は物腰の軟かなところは東洋の夫人の樣であつた。先生の御書齋の次の間は研究室になつていて,その次の間は東西の磁器が飾戸棚に一ぱいに整頓されていた.壁には有名な畫家のエッチングの畫がかゝつていた,家の周圍は庭園に圍繞されておる,此の邊には雀や色々の鳥が澤山集り,教授自らパン粉を窓際にまいて置くと雀が來てよくたべ,時には手からパン粉を嘴で直接たべるよというて喜んでおられたObersteiner先生の高弟にProf.R—edlichがおられる,脊髓癆の時に,脊髓硬膜の淋毒性硬化がおこり,此處を起點として後根の變性が後索の中まで起ることで有名なRedlich-Obersteiner Sche Zoneの研究で有名なProf. Redlichと時々教室に來られた,又嗜眠性腦炎の研究で有名なDr. v. Economoと氣輕に教室によく來られた,此頃神經學教室におられた日本の留學生としては,元城大久保喜代治教授,元長崎大の歌人齋藤茂吉教授,元北大の西川義英教授,名古屋の内藤稻三郞博士等がおられた,Obersteiner教授は教室におられた日本の愛弟子即ち京大の今村教授,東大の三宅教授,九大の榊教授廣島の吉村博士等の思ひ出話しをよくされした,私がWienを去り,Parisで先生の訃を聞いたのは大正11年東京震災の前年の秋と記憶している,余は先生の神総學の本で勉強し,又Obersteiner's Arbeitenで有名な教室の業績集を余は身近く保存している。
Copyright © 1949, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.