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あとがき
齋藤 眞
,
小川 鼎三
,
K.S.生
pp.220
発行日 1949年5月1日
Published Date 1949/5/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1406200040
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- 文献概要
◇我等の雜誌「腦と神經」も第三號を刊行することになつた,初めは季刊として一年3〜4回と考へていたのであつたが,原稿も各科より優秀な論文の投稿があり,隔月刊とすることになつた。來年になれば月刊にもなるまじき勢である。寄稿せられる各科の皆樣に感謝にたへない。此所で一つ米國人の根氣のよさをお話し仕度い。時は東京震災の大正十二年ボストンのハーバード大學で,私がクッシング教授の手術を見學していた時のことである。その頃のクッシング教授は毎日一つのトレパネーションをやつておられた。或る日後頭部の手術を初められた,いつも手廻しトレパスで穿顱しておられたのであるがこの日には電動トレパスを用いられた,トレパスが廻ると太陽の回轉する如く血が四方に飛び散る,出血多く頭を開かずに手術がおしまいになつた,あまり出血多かつた爲である。ヒストリーを渡されたのでよんで見ると,今度の手術が第七回目の手術である,毎回出血多く途中で中止になつておる,七回の手術をうけにやつて來る患者の根氣のよさにも感心したが,七回もの手術をつゞけられるクッシング教授の根氣のよさにも感心させられた。此の根氣のよさが今日の米國の腦外科の發達を來さしめた根源であると考へる。
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