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あとがき
小川 鼎三
pp.250
発行日 1951年7月1日
Published Date 1951/7/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1406200217
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學術論文はすべて日本の人だけでなく,外國の人にも読んでもらわなければならない。もしその價値がないようなものがあれば,それは日本語でも發表する必要がない。たゞ現在では欧文で書いたものを印刷に附することは一そう困難な事情であるし,また私どもの研究の結果はまず周圍の人々に知つてもらつて批判をよくきゝ,その上で外國に發表するのが合理的な行き方であるから,日本語の論文がぞくぞく書かれているわけだとおもう。少くとも私はそう理解している。
一と昔まえのことだが,シカゴのノースウエスターン大學にいたとき,一人の未知の米人が私の部屋に入つてきて,これを譯してくれと云つた。見ると,その手に日本語の論文を一つもつている。私が開いてみると,終りに短いドイツ文の抄録がつけてあるので,これではどうかときいたら,こういう結論がでた理由を知りたいとの答えであるので,私は大いに感心して,專門外のこととて,だいぶ窮したところもあつたが,全力をつくしてその内容を英譯して話した。その人は喜んでかえつていつた。
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