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あとがき
和泉 徹
pp.332
発行日 2009年3月15日
Published Date 2009/3/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1404101232
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北半球の先進国では,今や人間としての営みを全て温室の中で済ましていると言っても過言ではないであろう.20世紀後半,日本が作り上げた長寿社会がその典型である.長寿社会は地球に生息するであろう400万種の生物の中で人類だけが享受できている長命社会である.特異的な現象を指摘すれば,繁殖活動に費やした年齢と同じ年限を生き抜く社会である.DNAがほんの1%しか変わらない,人類進化の隣人,チンパンジーと比較すれば直ぐに理解される.彼らにはおじいちゃん・おばあちゃん保育はないのである.その前に生を全うするからである.
それでも日本が何とかして長寿社会に到達した1980年頃,長寿と長命は同一視できる土壌があった.その時,長寿は愛でられ,称えられ,そして敬われた.しかし,スーパーマンやスーパーウーマンが長寿を担った一時期が過ぎ,3万人ものレベルで百寿者を抱える今日,長寿社会の影の部分が無視できなくなってきている.それは介護の問題であり,疾病負担の問題である.ついに,疾病負担は患者負担,家族負担,社会負担,医療負担の枠を超え,次世代負担に広がっている.もはや,尊厳ある終末期医療は先進医療である.長命になればなるほど尊厳ある終末は望まれるであろう.またそれを依願する代諾者も多くなるであろう.これは必ずしも疾病負担や医療負担,次世代負担とは直結しない.400万種の生物が,進化の隣人であるチンパンジーが営んでいる極めて自然な営みの問題であり,人類の知恵の問題である.
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