医道そぞろ歩き—医学史の視点から・14
『ファブリカ』を出版したバーゼルのオポリヌス
二宮 陸雄
1
1二宮内科
pp.1224-1225
発行日 1996年6月10日
Published Date 1996/6/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1402905162
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パドヴァ大学の本館「イル・ボ」(牛の館)には,14世紀広間という内科外科教授室が保存されている.記録によると,16世紀から17世紀にかけてドイツ人の学生だけで1万500人を越えたというから,欧州各地から多数の学生がこのパドヴァ大学にやって来たらしい.この教授室の壁には有名な教授の肖像画が十数枚かけられている.『疾病の局在と原因の剖検による研究』という大著で名高いモルガーニの肖像画もある.モルガーニはボローニャの医学校を出て,29歳でパドヴァの理論医学の助教授,33歳で解剖学教授になった人である.14世紀広間で驚かされるのは,8人の教授の頭蓋骨が展示されていることである.サントリオ・サントリオのもある.1614年ヴェネチア初版のベストセラー『静的状態の医学』の著者で,自分で秤に乗って基礎代謝を測った人である.
アンドレアス・ヴェサリウス(1514〜1564)はブリュッセル生まれのベルギー人で,父は国王の典薬司であった.学者家系の一員としてヴェサリウスは,ルーバン大学を経てパリでシルビウスらに学び,1537年の12月にパドヴァ大学から学位を授与され,直ちに外科教授に任命された.解剖は,その頃は外科教授が壇上から解剖人に指図して教えていた.
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