医道そぞろ歩き—医学史の視点から・52
生誕の神秘に打たれたファブリチオ
二宮 陸雄
1
1二宮内科
pp.1404-1405
発行日 1999年8月10日
Published Date 1999/8/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1402906161
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美しい冬の日,パドヴァ大学を訪れると,折あしく内部の見学は休みであった.あきらめて帰ろうとしていたとき,たまたま一人の教授に出会った.教授が,折角来たのだから中を見ますか,というので喜んで後を追った.お陰で昔の教授たちの頭蓋骨を見たり,ガリレオが講義した机や,膵臓の管を描いたウィルスングの肖像の壁画を見たりした.
それにもまして幸運であったのは,有名なファブリチオの解剖示説階段教室を真下の解剖台のところから見上げられたことである.ファロッピオの死後,1565年にパドヴァ大学の外科学教授になったファブリチオが,1594年,57歳のときに作った解剖示説室である.卵型の底部を見下ろす階段状の回廊をもつ7.5mと9mのこの示説室は,現在まで400年間そのままの形で残っている.階段は険しく,学生は立って見学し,ノ一トをとるのも難しかった.有名なモルガーニもここで50年間も教えたが,1844年までは窓は開かず,燭台(松明)の光で講義したらしい.
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