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近代社会は18世紀アダム・スミスの指摘のように,分業によって著しい発展を遂げてきた.分業は効率を最大化するためであった.ところで分業は限られた分野に精力を注ぐことを要請されるわけだから,当然専門化の方へ向かうことになる.現代社会に生きるわれわれは生まれて以来,ある意味では専門家となることを要請され,程度の差こそあれ,熟練工,一定分野に精通した知識を持った労働者,あるいは高度の専門家として特化される職業に就くことが期待されている.小中学校の義務教育時はともかく,高校では理科系もしくは文科系志望であるかを問われ,大学では専門教育を受けることになる.医学部の場合では,大学教育だけでは一般診療さえおぼつかず,さらに長期間の訓練を受けてやっと一人前の職業人として育つ.
専門訓練の結果,分業が可能となるわけだが,それぞれの職種の中に独自の言語,行動様式が生まれ,いわゆる組織文化が醸成される.各専門分野は構成員の共通利益,出身地などさまざまな次元があり,錯綜する複雑な関係がさらに緊密度により修飾され,社会のありようを規定している.筆者が長い間,厚労省の公衆衛生の教育研究機関に在職したわけだが,下線部分の3つのキーワードだけでも,対外的な接触においてさまざまな調整のために多大なエネルギーを要した.特に指定管理職に就いてからの10年間は,ほとんどこれに忙殺されてきた.対外的な調整は言葉を代えて言えば,厚労省・公衆衛生・教育研究機関の3つのキーワードを組織内に一体化させないと,たちまち存在価値を問われかねないことを意味する.公衆衛生と言っても,霞ヶ関の行政の立場と,国立保健医療科学院(以下,科学院)の教育研究の立場は同じとは言えない.行政には政策施行のための調整機能が求められ,常に科学的でなくても,Politically Correctである必要がある.また,それを実行するための行政権限が付与されている.失敗した場合,責任を負わなければならない立場にある.科学院がPolitically Correctばかりに同調していると,Scientifically Incorrectに陥りかねず,社会的信用を失う.もちろんPolitically CorrectとScientifically Correctが同時に成り立つのが理想的である.大学はPolitically Correctであることを無視できる立場にあるが,実際の施策は政治的に動いているので,賛成反対は別として,政治の意味を理解しないと,公衆衛生の立場を失うこともまた真実である.
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