随想 老外科医の随想・1
外科の専門分化ということ(1)
中田 瑞穂
1
1新潟大学
pp.102-103
発行日 1964年1月20日
Published Date 1964/1/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1407203243
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私がここに述べることは著述の動機が自発的でないので結局無用のものである.あるいは独断である.私も古稀を過ぎたので若い血気さかんな新進の方々の考えとはもう随分隔つていることと思う.私がいろいろ反省して見ても,現在思つたり信じたりしていることはずいぶん若い頃に思つたり考えたりしたことと違つていることに気づく.若い時のみではない.つい2,3年前まで,否昨日こうと思いこんでいたことが,もうそうでもないと思われて来ることがいくつもある.脳のはたらきの悪さで退行現象としての変説もあろうし,矛盾もあろう.しかし,年を食つたために気短でなくなり,生々しいファイトも失せ,どういうふうに世間から思われても,たとえ誤解されても,叱られてもたいして気にならなく鈍感になつたために,いうこともまた,変貌して来たという面もあるであろう."おまえは前にこういつたではないか,しかも今は手のひらを返したように逆なことをいう.怪しからぬ奴だ"というお叱りをうけるところも絶無ではあるまい.しかし,永年外科をやつて来て,退職閑地についた一人の男がこういうことをいつていると,ひとごとのごとく読み棄てる寛容な気持の読者には,ところどころ,"そういう考えもあるな""それはだめであろう"と自分ご自身の現在の年齢とか環境に応じて,多少の批判的興味はうごくかも知れないのである.
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