Sweet Spot 文学に見るリハビリテーション
大江健三郎の『万延元年のフットボール』—障害者文学としての側面
高橋 正雄
1
1筑波大学
pp.538
発行日 2025年5月10日
Published Date 2025/5/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.038698220530050538
- 有料閲覧
- 文献概要
昭和42(1967)年に発表された大江健三郎(1935〜2023)の『万延元年のフットボール』(講談社)には,右眼の視力がない主人公の蜜三郎をはじめ,重度の障害がある子供や「白痴」の妹,アルコール依存症の妻や精神病院に入院していた友人など,さまざまな障害者が登場するため,一種の障害者文学としても読むことができる作品である.
このうち,英語講師の蜜三郎は,小学生から投げられた石礫によって失明したのだが,右眼の視力を失ってから,蜜三郎の頭と顔の右半分は生傷の絶えることがなく,醜かった.だが,蜜三郎自身,「僕は眼の負傷以前から,それは母親が,美しくなるであろう弟に比較しながら,僕の成人後の容貌について予言した言葉をたびたび思い出させたのであるが,しだいに自分にそなわっている醜さの特性をあきらかにしていた」と語るように,彼は右眼の障害ゆえに醜くなったとは思っていない.蜜三郎は,「失われた眼が,醜さを日々更新し,つねになまなましく強調しつづけているにすぎない」,「生来の醜さは日蔭にひそんで沈黙していようとする.それを日なたへひきずりだしつづけるのが,失われた眼の効用である」と,自分の生来の醜さを強調し顕在化させたのが右眼の障害だと考えているのである.
Copyright © 2025, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.