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桜が風に舞い,新緑が街を染めるころ,日本泌尿器科学会総会は福岡県博多にて今年も盛況のうちに幕を閉じました.学会のある春は,どこか一年の区切りを再構築するような不思議な感覚があります.日々の診療に追われている私たちが,ふと足を止め,自らの立ち位置と専門性を見つめ直す.そんな「立ち返りの場」として,学会は年々その存在感を強めているように感じます.コロナ禍から解放され現地参加にあって,全国から集まった会員の熱気は,会場の空気を確かに揺さぶっていました.いま,泌尿器科医たちは“診る”だけではなく,“繋ぐ”という視点を持ち始めています.臓器を診る,その先にある人間を診る.その人の暮らしや尊厳に触れる医療が,総会での議論の底流に感じられました.がん免疫,AI,ロボット手術,遺伝子診断―技術の進化は目覚ましく,もはや未来ではなく「現在」を形づくっています.しかしその進歩のなかでも,「人の手」や「まなざし」の持つ重みが見直されつつあるように思えます.もう引退近い小職にとっては,今年の学会では若手会員の台頭が特に印象的でした.堂々たるプレゼン,鋭い質疑,そして何より「自分の言葉で語る姿勢」に,多くの聴衆が息をのみ次世代の期待をしたのではないでしょうか.彼らの存在は,泌尿器科の未来を語るうえで,単なる担い手ではなく,新しい価値観の創出者として大きな意味を持ち始めています.
また,学会後の懇親や再会の場においても,「久しぶり」の言葉が何度も交わされ,コロナ禍を経た今,「顔を合わせて語ること」の力を改めて認識させられました.このように学会後の余韻のなかで多くの会員が語っていたのは,コロナ禍から解放された「再会」と「再認識」でした.久々に顔を合わせた仲間たちとの笑顔の挨拶,そして,日常の診療に追われる中で忘れかけていた“専門医としての矜持”を取り戻すような,そんな時間だったのかもしれません.学会の意義としての人と人が「集う」ことの意味,それは情報交換や研究発表を超えて,医療に携わる者としての根源的な共鳴の場なのかもしれません.このような学会が継続していくことを望みます.

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