連載 Go to the people——バングラデシュと共に歩んだ私の国際保健50年
第二十編
石川 信克
1,2
1公益財団法人結核予防会
2結核予防会結核研究所
pp.186-189
発行日 2025年2月15日
Published Date 2025/2/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.036851870890020186
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マニックガンジ郡での結核対策のスタート
首都ダッカより北西50キロメートルにある純農村地域マニックガンジ郡で現地民間組織のバングラデシュ農村振興委員会(Bangladesh Rural Advancement Committee: BRAC)傘下の保健ボランティアによる結核対策が始まった。1985年ごろ、147の村に約250人の保健ボランティアがすでに活動をしていた。彼らは私がそれまで関わってきた南のボリシャル県ゴンノディ地域ボランティアのような予防衛生教育のみではなく、数年の間、下痢や発熱など十種類の病気の簡単な治療を経験していた。各保健ボランティアの対象人口は500人前後で、全体では15万人という広い地域が対象であった。BRACではブロックごとのサブ地域に小事務所を構え、それぞれには優秀なフィールドワーカーがいて、村々の貧農を対象にしたグループ(ショミティ)や保健ボランティアの指導・監督を行う仕組みがあった。結核に対しては、何もなされていなかったので、われわれの参加は歓迎された。組織的には、BRACが主体だが、バングラデシュ結核予防会(実質的にはコンサルタントの私)、ダッカの国立結核中央センターが支援する体制で、住民参加型結核対策(Community-based TB Program)の試行プロジェクトが開始されたのであった。私の最終課題であった「プライマリヘルスケア(PHC)における結核対策」である。当初は小規模に、BRACと私が手探りで始めたが、次第に仕組みが出来上がっていった。
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