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ショミティの中での保健活動
村レベルのプライマリー・ヘルスケア(PHC)活動に話題を戻そう。1980年代、人口の9割が住む農村部の保健医療サービスは皆無に近かったが、国はWHOのアルマ・アタ宣言(1978年)以来、全国の約500の郡(ウパジラ:人口15〜20万人)に保健センターを設置し、基本的な保健医療サービスを提供しようという計画を進めていた。中身は、下痢・発熱・けがなどの治療(結核も含まれていた)、予防接種・栄養指導・母子保健・家族計画・安全な水確保・便所づくりなどの地域保健活動(コミュニティーヘルス)の展開である。当時、行政組織が弱く、予算も人材も不足する中で、さまざまな国内外のNGOが歓迎され、補完的活動を実践していた。私の赴任先のキリスト教保健プロジェクト(CHCP)もその一つであった。ここまでは基本的保健サービスを人々に届けるというHealth to the peopleである。しかしPHCのHealth for All(HFA)の理念には、それに加えてコミュニティーづくりと人々の積極的参加(すなわちHealth by the People)によりHFAが達成できるとする画期的な概念変革もあった。
私はバングラデシュのコミュニティーとはどこを指すのか、地域組織といえるものが見えなかった。ヘルスの担い手はどこになるのか探索する中で、シスター・マリーの人間開発プログラム(human development programme: HDP)に出合ったのである。ショミティ活動に新しいコミュニティーづくり、その中にヘルス活動の芽があることを見た。PHCの一番末端の担い手はこのショミティかもしれないと思えた。1980年代のバングラデシュの農村の人口の8割以上が土地なしで、物言わぬ農民たちであった。特に女性たちはほとんど社会的活動がなかった。その人たちをターゲットにした新しい開発の動きが出てきた時でもあった。日本からこの国で働くNGOのパイオニアであったシャプラニールも、新しいアプローチとしてショミティづくりに取り組み始めていた。ヘルスは直接の課題ではなかった。私はゴルノディのカトリックミッションが行っていた結核クリニックの支援の傍ら、周辺の村々で出来上がってきた70のショミティで何が起こっているのか、その実態を見ることにした。現地では、それまで村レベルの仕事で、私の仕事の同僚だった保健師・斎藤洋子さんが3年の任期を終えて帰国し、後任の保健師・川口恭子さんがミッションの中に住んでHDPの保健活動の支援と結核クリニックの仕事を始めていた。
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