精神医学 3巻8号 (1961年8月)

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第2部(つづき)

Ⅳ.精神療法的人間理解における倫理性と宗教心理の問題

1.倫理主義としてのS. Freudの精神療法的人間理解

 S. Freudは,「Dostojewskiと父親殺し」1)(1928)の冒頭で,この内容豊かな人格を,詩人としての彼,神経症患者(またはてんかんもち)としての彼,倫理家としての彼,罪人としての彼に区別し,「詩人としての彼は,シェクスピアに比較してもさして劣つてはいない」と賞讃したのち,「詩人というものが問題となるかぎり,精神分析的な方法は手をあげるほかはない」とのべ,ついで,倫理家としての彼を論じているが,その論旨には,詩人を論じるさいの「自分にはわからない」という消極的な態度は影をひそめ,倫理家としてのDostojewskiを高く評価する一般の見解を冷く否定してつぎのようにのべている。すなわちFreudは,「もつともふかい罪の領域を通つたことのある者のみがもつとも高い倫理の段階に到達するということを論拠として,Dostojewskiを倫理的に高く評価しようとするのは,重大な疑点を看過する態度である。すなわち倫理的な人間とは,誘惑というものに,それが心の中で感じられたとたんにただちに反応し,しかもこれに屈服することのない人間の謂なのである。」と断言し,「さまざまな罪をおかし,しかるのち後悔して,高い倫理的要求をかかげるにいたつた人間は,楽な道を歩んだのだという非難を免れることはできない。そのような人間は,倫理の本質的な部分をなすもの,すなわち断念というものを遂行することができなかつたのである。けだし,倫理的な生活を送るということは,人類の実際生活の利害(現実原則)の要求するところ(適応)なのであるから……」とのべ,このような意味で,Dostojewskiが倫理的たりえなかつた原因として,Freudは,彼の心内の犯罪性(衝動性)とこれに対する無意識的罪悪感をめぐる極端な心的葛藤(ambivalence)の激しさ,これを基礎づける神経症的ないしてんかん性の病理的機制をあげ,「もし神経症でなかつたとすれば,あれほどの高い知性をもち,あれほど強い人類愛に燃えていた彼であつてみれば,もつと違つた人生行路,たとえば使徒のような聖なる生涯を歩んだことであろう」と,惜しんでいる。換言すれば,Dostolewskiが倫理的人間たりえなかつたのは,神経症患者だつたからであり,神経症患者は,Freudの定義する意味での「倫理的なもの」を遂行しえない。なぜならば,神経症は,欲求の現実原則Realitätsprinzipによる断念(frustration)に耐ええない結果,すなわち「倫理性」を維持しえぬ結果おこるものであるから。Freudにとつて神経症は,「倫理的なもの」からの,安易な逃げ道であり,「正常な自我」の未発達または障害とは,このような「倫理性」を維持する倫理的自我の弱さを意味したのである。

 われわれは,以上の実例のうちに,そしてまた第Ⅱ部Ⅲ6(6月号20頁)に引用した,SandorFerencziとFreudとの会見記におけるFreudの態度,すなわち,「治療者の母親的maternalまたは父母的paternalな愛による世話や支持は,——未熟な治療者がやると——,禁欲規則を破り,倫理的な医師としての分別をこえた,私的な愛情による自己陶酔となり,患者を性的な溺愛やあまやかしにおとしいれる危険がある」という見解のうちに,精神療法におけるFreudの基本的態度——対話的協力,科学的真理性,誠実,禁欲規則,医師としての分別,公共性——の背景となつた人間理解の特質——倫理主義——を見出すことができる。この倫理的な態度の否定によつて生まれた,その後の,いわゆる愛の態度―愛,人格性,共感,生命性,超越性,柔軟な能動性―に代表されるような,第Ⅱ部Ⅲ 6でのべた各カテゴリーは,もしFreudが知れば,Ferencziに向かつてのべた批判と同じ批判を向けたであろうような性格を有する。FreudとFerencziのこの会見の中にわれわれは,Freudの精神分析療法とそれ以後の精神分析療法という,世代の対立あるいは二つの流れを見出すのである(註61)。

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 1) 飲酒時の血液中アルコール濃度と脳波像の変化を比較した。

 2) 血液中アルコール濃度上昇のさいは脳波像変化はほぼ平行を示す。

 3)脳波像変化は血液中アルコール濃度下降のさいは,はるかに遅れて回復に向かう。

 4) 酩酊の精神症状と脳波像の変化とは終始一致した平行関係を示しているようにみえる。

 5) 病的酩酊者は,脳波像変化が早くかついちじるしくあらわれる傾向を示した。

精神医学の診断について 越賀 一雄
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 われわれは以前に「精神医学」に作話症についての論文を寄稿し,その冒頭において精神病学における診断がいかなる性格のものであるかという問題については根本的にカントの判断力批判を十分に理解してかからねばならないが,これについてはいずれ稿を改めてのべるつもりであるといつた。

 私は数年来親しい友人たちとともに坂田徳男先生のもとで判断力批判について研究を続けており,現在もなお継続中であつて,決してこの難解な書を十分に理解したなどとは毛頭考えておらないが,さりとて十分に理解できたなどと思える日まで待つていてはいつまでたつてもこの問題についてのべることができないように思えるので,お粗末,未熟な点は後日あらためて考えなおすことにして,あまり流行の問題ではないが,すでに予告している手前,大胆にのべ,そして最後にこの問題と関連して,現代における精神病理学の一つの使命といつたものについても若干ふれておきたいと思う。

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 私がここでこのテストを紹介したく思つたのは,言語表現を用いての臨床的に有効な人格診断テストはRorschach, T. A. T. を初めとし,割合に知られているが,言語表現によらない動作テストは従来あまり紹介されていないからである。人物描画テストはすでに紹介ずみであるが,人物の描画というものは,書かれている対象が被験者自身のprojectionなのか,あるいは被験者に意味のある重要な人のimageなのか,あるいはその場に偶然居あわせた人の描写なのかはつぎりしない。したがつて人格テストとしてはある規定性が乏しい。(テストというものは漠然としているほど,よいともいえない)。同じように,ここに紹介するテストの前身ともいえるM. Lowenfeldのモザイクテストがあるが,これは色彩が限定され,色彩の小片の形態は規定されているが,被験者が自由に形造りうる自由度が広すぎるきらいがある。この自由さをやや狭めたものには7Q-testがある2)。しかしこの場合は白-黒の対照のみ強調し"かげ絵"的な効果-したがつて空間位置の対照-はよいが,色彩にもられる感情表出がつかめない。薬物実験においても,興奮をよびおこすような薬物の投与下では,赤黄橙が好まれるし3),不安状態におかれている病人では,緑が増したりする。このようなことは,たとえ色彩のもつ心理学的意味がまだ十分解明されていないとはいえ,色彩はある感情を表示しうるものであり4),ひいては人格を反映するものと考えることができるであろう。それゆえ私は「色彩と構造」を主題とする人格テストとして,M. Pfisterが色彩ピラミッドテストを創始し,その後継者らが統計的に,臨床的に研究を進めていることに興味を感じ,臨床において,短時間に簡単に施行しうる動作テストとして,かつわれわれが日常テスト施行にさいし,もつとも困難を感じる言語テスト『拒否』を補いうる有効なテストとしてここに紹介をこころみるものである。

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まえがき

 結核は,予防施策の発達によつてかなり予防しやすくなり,化学療法の進歩と普及によつて,なおりうる疾患となつた。結核死亡はいまや死因の第7位に落ち,結核はもはや問題ではないといわれる。精神病院入院患者中の結核も,多少ずつは減少していると思われ,われわれもまた結核は問題でないと考えがちであつた。しかし,現実は必ずしも楽観を許さない。精神病院の結核患者は,ともすれば忘れられがちであるし,少なくともわれわれ精神科医の治療的あるいは研究的熱意が,まず第1にこれらの結核患者にそそがれるというようなことはありそうもない。こうして彼ら精神病院の結核患者は,最初から二重の不幸を背負つているのである。

 松沢病院では,昭和32年の全入院患者に対する間接撮影実施を中心として,遅まきながら結核管理に本腰を入れ始めた。そして,われわれ結核病棟担任医も,このころから結核病棟管理に熱意をそそぎ,いささかの成果をあげることができた。とはいえ,われわれの行なつたことは,現代の精神病院が当然行なうべき最低のものであつたにすぎず,われわれとしてもこれを公表する意志は毛頭なかつた。しかし,朝日新聞昭和35年12月27日夕刊所載の北錬平氏の「結核をみなおせ」を読むにおよんで,われわれの考えも変わつた。

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緒言

 パルキンソン症候群(以下パ症候群とす)についての薬物療法としては,古来いくつかの方法がみられるも,いずれも治療効果の確定的なものをみていない。ただ本症候群の中でも,とくに筋強剛に対しては,最近においてアーテンが最高に効果を示すことは認められているが,なおこのようなγ系の機能亢進による筋トーヌスの異常に対しても,あくまでも対症的治療法にすぎない。しかし本症における主要症候である手指振顫については,まだ神経生理学的にも発生のメカニズムに確証をえていない現状であつて,その治療法は筋トーヌス異常よりも進歩の遅延していることは論をまたない。このような本症候群に対する治療としてphenothezine系誘導体が紹介されたのはここ数年来のことであって,Diparcol(Diethazine)もこの種の中ではかなりよく知られており,手指振顫に効果をみることは,すでに著者らにより報告してきた。

 今回著者らは吉富製薬会社より,パーキンソン錠の試供をうけ,その臨床経過を観察する機会をえたので,簡単に臨床成績の一部を報告する。

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 新しい抗抑うつ剤amitriptylineをうつ状態を主とした33例,躁状態4例,神経症3例に使用し,その効果を検討した。

 本剤は定型的な内因性うつ病,反応性うつ病に対してかなり効果的である。また4例の躁病にも有効であつた。

 副作用としては口渇,ふるえ,発汗などの抗アセチルコリン作用が認められた。

 Imipramineの効果と比較した場合,抑うつ気分に対する効果自体はamitriptylineのほうカミ,mildであるが,副作用も同時にmildであり,また抗不安効果などの対症的な効果はAmitriptylineのほうが確実であるように思われた。

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 近年,精神科領域の治療上に,かなり大きな進歩があつたもののひとつとして,うつ状態に対する薬物療法がある。近代的な精神治療薬の最初のおとずれは,Phenothlazine化合物であるChlorpromazineのこの方面への導入であるが,その後周知のように種々の薬物が精神治療薬として登場し,それら薬剤のうち抗うつ作用をもつものが,うつ状態の治療にこころみられてきた。いわゆる抗うつ薬はその作用のうえから 1)Neuroleptics,2)Stimulants,3)Energizers,4)Thymolepticsに分類される(1)。それぞれ,作用に特徴があつて,一がいに抗うつ作用の優劣を論じるわけにはいかない。

 さて,Thymolepticsという言葉はKuhn(2)が名づけたもので,情動調整剤と訳されているが,Imipramineが抗うつ作用をもつことを発見し,その作用が従来の鎮静薬,静穏薬,刺激薬とは趣きを異にし,うつ病の障害部位Dysordinations-punkteに選択的に作用するものであろうと考えた。Imipramine(Tofranil)がうつ状態の根本的改善作用を薬理学的にもつかどうかは別として,治療効果についてはすでに定評のあるところで,日常の臨床において欠くことのできない薬物とされている。ただ傾眠,鼻閉,口渇,低血圧,振せん,発汗などの副作用がかなりあらわれることが欠点である。

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Ⅰ.緒言

 措置入院(精神衛生法〔以下法と略記す〕第29条による強制入院)はもちろん,同意入院の場合でも閉鎖式精神病院への入院は,該精神障害者の意思を無視して行なわれるのがふつうである。これが精神病院の特徴であるが,人権尊重の叫びの高い折柄,精神科医は十分注意する必要がある。また近く措置入院の予算のわくが拡げられ,措置入院患者が大巾に増加しようとしている。この機会に私は精神障害者の入院に関する現行法を一応検討してみたいと思う。

基本情報

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精神医学
3巻8号 (1961年8月)
電子版ISSN:1882-126X 印刷版ISSN:0488-1281 医学書院

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