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はじめに
私は大学を定年退職後,精神科病院の勤務医になった。それまで一度も精神科病院で常勤医として働いた経験はない。自治医科大学で研修を始めた頃,宮本忠雄教授との夕食中の雑談で,かつて自身が精神科病院にパートに行きだしたことについて,師であった島崎敏樹先生から「精神科病院で働くと(医師も)慢性化をきたすので,精神科病院には行ってはいけない」と注意され,すぐにパートを辞めたというアネクドートを聞いた。しかし後に,私が常勤として働いてみて,現在,精神科病院は救急医療,また社会復帰においても重要な役割を果たし,医療に大きく寄与をしていることを肌で知った。
わが国では1983年の宇都宮病院事件を契機に精神科病院の治療はだいぶ人間性尊重の方向が進んだのだが,その後もごく最近(2025年3月)の青森で起こったような精神科病院での不祥事がしばしば報道されている。精神科病院は,密室性が高く,患者の興奮,不可解な行動,言動が職員の陰性感情を喚起し,これが患者に対する暴力,暴言といった非人道的対応につながりやすいと考えられる。
ビーアズは,こうした告発を,重篤な躁うつ病のため通算3年に及ぶ自身の精神科病院への入院の体験をもとに1908年初版の『わが魂にあうまで(A Mind That Found Itself)』(Beers, 1908a)で行った。これは,国際的な精神衛生運動の端緒を開く記念碑的著作となった。
私はこの著作に特別な深い思い入れがある。というのも,この著作の最初の邦訳(Beers, 1948)は祖父・加藤普佐次郎と義理の弟になった前田則三によりなされ,幼少時からこの本のことをなんとなく耳にしていたからである。それ以前に加藤普佐次郎による抄訳(Beers, 1908b)が1940年,「精神病者慈善救治会」の機関紙『救治会会報』に掲載された。また英語の原本が初版(Beers, 1908a)と25周年記念版(Beers, 1937)が並んで祖父の書斎に並べられ,書斎風景の一部にもなっていた。
なお,日本では「精神病者慈善救治会」(現在の日本精神衛生会の前身)が1902年(明治35年)に呉秀三の構想の下に精神病患者に対する理解を深め支援することを目的に設立され,その機関紙が『救治会会報』である。ビーアズによる精神衛生運動に先んじてわが国でこの種の運動が始まっていることは特筆に値するだろう。そうした背景のもと,松沢病院で人道主義の思想に駆動され患者と共に作業療法を実践した加藤と前田がビーアズの著作にいち早く注目したと考えられる。
私が精神科医になってから,江畑敬介先生が新たに邦訳(Beers, 1965)をした著作を読み,併せて最初の邦訳にも目を通した。これまで多数の古典に触発されてきたのだが,このたび,『精神療法』の連載「古典症例に学ぶ」の執筆を依頼していただき,精神医学にとって最も大切な使命は治療であることを鑑み,『わが魂にあうまで』を再読することにした。
改めて読み,多くの新鮮な学びをした。その一つは,ビーアズに端緒をもつ精神衛生運動が自身の躁うつ病と深く結ばれ,躁病相の発揚状態の中で入院中から精神科病院の改革の動きが始まっている点で,病跡学的にも興味深い。このような問題意識から,ビーアズの病いの推移をたどり,精神科病院の改革運動が創始されていく過程に光をあてたい。

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