扉
わが道
長島 親男
1
1埼玉医科大学脳神経外科
pp.195-196
発行日 1997年3月10日
Published Date 1997/3/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1436901353
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1963年米国でのレジデント生活を終え,帰国の日が間近になったある日,恩師スコビーユ先生(イェール大学教授,ハートフォード病院脳神経外科主任)から「日本に帰ったら脊椎・脊髄の外科をやったらどうか.まだ日本では整形外科が主にやっていて脳神経外科はやっていないときく.欧州や米国でも昔はそうだったが今は違う.日本でもneuroourgeonが積極的に取り組んでいかないと,世界のレベルから遅れをとるよ」と言われた.ホイットカム先生からも「我々は10年かかった.とにかく優れた成績を挙げることだ.一例一例,神経所見をよく取り,よりfineな手術をすることだ.脊髄・神経根などはneurosurgeonの守備範囲だが,脊椎もやがて我々のものになるだろう.整形外科とのトラブルもあるだろうが,忍耐と努力でそれを上廻る成績を挙げることが大切だ.10年頑張れ.」と話された.今思えば,この時に私は決心しわが道は決まった.
1963年頃,日本では椎弓切除の患者さんは術前に整形外科でギブスベットを作ってもらい,術後約1カ月はギブスベットに入ったまま安静にさせていた.ところが米国では,ギブスベットは作らないし,たとえ広範囲の椎弓切除術でも手術の翌日か翌翌日から起坐を許可し,次いで歩行へ進むという具合に積極的な早期離床であったし,帰路立ち寄った欧州各国の脳神経外科施設でもギブスベットを使っている施設は見当たらなかった.
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