- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
- 参考文献
Ⅰ 縄文のビーナス
1986年に現在「縄文のビーナス」と呼ばれている土偶が長野県茅野市の棚畑遺跡から出土したときの人々の興奮はいまだに語り継がれている(鵜飼,2010)。それは土偶にしては身の丈が27cmと大きく,しかもほとんど破損していない状態で見つかったことでも,これまでの土偶がわざと壊されて用いられたということからすると,例外的なことであった。さらにこの呼び名にふさわしい優美さは,雲母を混ぜた土を用いた輝きも含めて,他には類を見ないものであり,国宝に認定されたのも当然といえる。約5,000年前,縄文中期に作られたと推定されるこの愛らしくも美しい女性像は,全体に無駄のないフォルムであるが,その腹部の膨らみは,間違いなく妊娠していることを示しており,おそらくは自然界の豊饒を祈る宗教祭祀のために何らかの役割を果たしたものと想像される。この像によって,人々がかくも遠い昔から女性の生命を生み出すちからを畏怖し,神聖視してきたことが伝わってくる。
この像が作られてから数千年の時を経て,現代に生きる女性の中にも,生命を育み生み出すそのちからは変わることなく存在している。しかし女性自身のその受け取り方はずいぶん変わってきたといえるだろう。科学的説明によってそれは単なる身体に備わった機能であると理解し,古代の人々が感じていたような大地や自然との繋がりという側面にはあえて意識を向けることなく,そこにある神秘の影は追い払われているのかもしれない。それは女性の在り方やこころの状態にも変化をもたらしている。しかしユングのいうように,人間のこころの奥底には意識されなくても,連綿と続く長い歴史が流れていると考えるならば,身体の中にもこころの中にも響いているはずの古代からの遠い記憶に思いを馳せながら,今の私たちが見失っているものについて考えてみたい。

Copyright© 2025 Kongo Shuppan All rights reserved.