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はじめに
今回女性セラピストのライフコースということで,執筆のお話をいただいた。そのきっかけが,2014年に企画した精神分析学会における教育研修セミナー「治療者のセクシャリティを考える〜特に女性であることについて」であったと伺い,非常に感激し,感謝すると同時に,当時のことを思い出してみた。
当時の私は子育ての真っ最中を抜ける頃であり,セラピストが女性であることについて強い興味を持っていた。中でも,妊娠・出産・子育てという出来事により,女性セラピスト側に起きること,側というよりも,そのセラピストの中,セラピストの内側で起きていることに強い関心があった。女性セラピストにとって,後述するつわりや胎動などの生な身体感覚や生々しい体験は,逆転移として一絡げにするようなものではなく,面接場面のセラピストに非常に大きな影響を与えていると考えていたからである。
当時は,セラピストの妊娠出産はセラピストとクライエント双方のファンタジーに焦点が当てられることが多く,実際にはセラピストに強く自覚されている,つわりや吐き気,胎動,腹部圧迫による頻尿,母乳が漏れるなどの不意に襲ってくる「自身の生の身体感覚や生々しい体験」は個人的な訓練の場で語ることとされ,セラピストの女性の部分については公に語られる機会が少ないように思え,上述の企画の提案に至った。自身の論文(原田,2015)で妊娠出産により,女性は二重性が曖昧になりやすいこと,二重性とは,セラピストとreal person(生身の人間),表と裏,内と外,夕鶴のつうと鶴,舞台と舞台裏などにたとえられ,その間にあるものは境界線という二次元のものではなく,双方に思わず覗きたくなるような空間がある「ふすま」という言葉で表現したいことなどを述べた。女性は戯曲『夕鶴』における,つうと鶴を毎日何回も行き来しており,つうも鶴も自分である。セラピストは,鶴を見られて去っていくのではなく,そこに居座り,その鶴に投影されているものを理解していく重要性を指摘していた。今回,いただいたライフコースというタイトルは,この体験がその後の私の活動に与えている影響を述べていくご依頼と理解し,論をすすめていきたい。

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