連載 教育哲学を使って考えてみよう・8
儀式や行事の教育的な意義―「節目」による象徴的な死と再生
杉田 浩崇
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1広島大学大学院人間社会科学研究科
pp.822-825
発行日 2021年8月25日
Published Date 2021/8/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663201798
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桜が咲く季節は、出会いと別れを予感させる。各地の学校では卒業式や入学式が行われ、厳かな雰囲気のもと思い出が語られ、新たな門出が祝われる。私の育った小学校には体育館とは別に立派な講堂があり、そこで行われるさまざまな式典や儀式は特別な意味をもっていた。卒業式で卒業生が披露する合唱は荘厳で、いつか自分も歌う立場に立つのだと憧れをもちながら参加していたのを覚えている。講堂の壁に飾られた校歌やシンボルは伝統と歴史を物語っており、荘厳な雰囲気を際立たせていた。
先日、小学生の娘の運動会を参観した。私の小学校時代は秋に開催されることが多かったが、さまざまな事情から、近年は春に開催することが多くなったようである。運動会に向けて、縦割りのグループがつくられ、娘は上級生や級友と一緒に応援ソングや演目の準備に励んでいた。かけっこは1番にはなれなかったが、目標に向かって取り組んだ結果に満足していた娘の様子に思わず目を細めた。
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