- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
- 参考文献
はじめに
職業人は多かれ少なかれそうかもしれないが,心理療法を行うセラピストはとりわけ自分の個人的な出来事や属性をクライエントに見せないように仕事をしている。そうして,自分自身を背景におき,クライエントのこころを映し出す鏡のように,こころの耳を澄ます。訓練の過程で,それがプロフェッショナルとしての基本姿勢だと教えられるし,またそれは確かに事実である。
一方,セラピストが自分の人生を生きていることを隠し切れないのもまた事実である。セラピストの人生上の出来事が,セラピーに甚大な影響を与えたり空白期間が生じたりする場合がある。例えば,セラピスト自身が病気にかかったり,大切な人を亡くしたり,介護をしたり,はたまた事故に遭ったり離婚したりするかもしれない。クライエントはそれらを直接的か間接的に知り,自分自身の苦悩や空想と重ねることもあれば,混乱とともに反応することもあるだろう。セラピストの人生上の出来事をセラピーに持ち込むことは,積極的に望ましいとは言えないが,完全に排除できないし,それらを想定しないのは非現実的で楽観的過ぎるだろう。近年では,心理職の仕事と私生活の有機的な関係について論じる試み(伊藤・他,2023)もある。
セラピストの妊娠はセラピーにどんな影響を与えるだろうか。本稿にいただいたテーマは,セラピストが妊娠した時にその局面から「見えてくる」ものだが,セラピストの妊娠は,むしろいろいろと「見えにくくなる」局面であるようにも思われる。社会的タブーや文化,慣習,制度などが複雑に絡みあい,治療者の妊娠にまつわる現象について論じるのが難しい風潮がいまだにあるが,そうした局面で何が見えにくくなり,そして目を凝らせば一体何が見えてくるのか,精神分析的な視点から考えてみたい。

Copyright© 2025 Kongo Shuppan All rights reserved.