コーヒーブレイク
見えてくるもの
板野 聡
1
1寺田病院外科
pp.1239
発行日 2008年9月20日
Published Date 2008/9/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1407102259
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- 文献概要
大学を卒業してもうすぐ30年を迎えようとしていますが,私の個人的な手術記録のナンバーはなんとか6,000番を迎えようとしています.これは,卒後最初の研修病院で出会った先輩から「記録しなさい.記録は大切なことですよ」と教えられたままに始めたことですが,以来,外来小手術やPDまで,自分がかかわった手術すべてを記録してあります.
最近になって,そうした自分が経験した時間と数が増えてきて,今なお進歩していることにも気付かされ,あわせて色々と思うことがあります.そのなかの1つに,「若い頃には見えていなかったものが見えてくるようになった」ということがあります.自分は凡人ですので,あらかじめ「こうだろう」とか,先輩達が教え残されたことを理解したうえでやってきたことではありませんが,それでも何となく,時にはっきりと(これを「目から鱗」というのでしょう)見えてくることを実感することがあります.手術での剝離層といったものが物理的に「見える」ということもありますし,助手の動きで「まだよくわかっていないな」という形而上学的なことも見えてくることになります.形而上学的と言えば,患者さんやご家族の「気持ち」や「人情の機微」もまた見えてくるものです.
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