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I 教育虐待とは何か
本稿のタイトルである“教育虐待”と聞いて,読者の皆さんは何を想像するだろう。中学受験を前に,母親がもっと勉強に励むよう我が子に強烈に叱咤激励している場面や,子どもが日々息つく暇なくさまざまな習い事をさせている家庭などを思い起こす人が少なくないのではないか。
ところが“educational abuse”というキーワードで英語論文を検索しても,その件数はごくわずかである。数少ないそれらの要約を読んでも,学校で発生している大人からの子どもへの暴力行為の話題であったり,貧困などの理由で勉強をしたくてもできない子どもの話であったりする。ここから,英語圏では,教育に関する大人から子どもへの過剰な働きかけに関して,教育虐待という用語がほぼ用いられていないということ,大人による子どもへの行き過ぎた教育の押し付け行為は,世界的に見たらありふれた光景とはいえない可能性が推測できる。
まず用語の問題について整理をしておくと,武田(2021)はエデュケーショナル・マルトリートメントという用語で一連の概念を整理している。これは教育虐待と教育ネグレクトの両方を含む概念で,親が教育という名目で行う子どもの受忍限度を超える虐待を指す。そして前者は日本を中心として特に近年注目を集めている概念である一方,後者は国際的に用いられている学術用語で,日本では,ヤングケアラーや体験格差といった切り口で語られることが多い(大西・廣澤,2024)。以降,本論文ではこれら一連の用語に関して,武田(2021)の分類に基づいて論じることにする。
教育虐待に関する文化差については,それを裏付ける証拠がある。国連児童の権利委員会は,複数ある批准国のうち日本,韓国,香港に対し,子どもたちの教育面における競争的な状況への改善の勧告をしている(野井,2021)。つまり東アジア圏には似た傾向があることがわかる。子どもの心理発達を軽視して勉強を強いる中国人の母親やその子育てスタイルのことを“tiger mother”だとか“tiger parenting”などと表現することがあるが(Chua, 2011),最近では中国に限らず東アジア的な競争的でアグレッシブな子育てのスタイルを示す用語として拡大解釈されているという(Kobakhidze et al., 2024)。このスタイルは東アジア学生の社会的成功の背景である一方,西洋的子育てに比して心理的発達を阻害する要因として非難の対象になっている。背景には,儒教文化や,科挙をルーツとする試験で高い成績を修めることが人生の成功につながりやすい社会制度の存在などが指摘されている。日本で“良い学校”への進学が“良い就職”に繋がりやすく,それが“人生の成功”とみなされていることが該当するであろう。無論,西洋において能力主義に基づく子育てが皆無というわけではない。むしろアメリカでは,その弊害について近年活発に議論がなされているところである(サンデル,2021)。しかし,定期テストの学内順位を子どもたちにフィードバックすることが日本では当たり前であることに象徴されるように,学業場面においてあからさまな競争的状況を作り,上位を目指して厳しく子どもをしつける方法でもって能力主義を支持する子育てスタイルは,東アジア固有のものと言えよう。

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