教養講座 小説の話・6
『写実主義と自然主義』
原 誠
pp.54-57
発行日 1956年12月15日
Published Date 1956/12/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661910253
- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
「小説,それは街路に沿って持ち歩く,ひとつの鏡である」と云うアフオリズムがあります。鏡を持つて街を歩けば,何もかもみな,ありのまゝに写るでしよう。華麗な花屋の店先にたたずんでいる美女も,公衆便所の脇でゲロを吐いている酔つぱらいも,つまり小説とはこの現実社会における醜悪な出来事も,暗い面も,そのまゝに描きだすべきものだというのです。ところで浪漫主義の文学はどうであつたかと云うと,醜悪な出来事や暗い面になると,鏡をふせてしまう。花々の美しさ気高さ,女性の品位や魂の美しさ気高さみたいなものにだけ,もつぱら鏡をむけていたと云つていいのです。こうした浪漫主義に対する反対運動が,19世紀のヨーロツパに(殊にフランスを先駆として)強く起つてきました。
フローベルが「ボヴアリイ夫人」という長篇を書いたのは,1857年のことです。
![](/cover/first?img=mf.1661910253.png)
Copyright © 1956, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.