特集 虐待新論――「なかったことにしない」ための援助論
「宗教二世問題」の本質――〈疑う自由〉を奪われた子どもたち
坂岡 大路
1
1特定医療法人さっぽろ悠心の郷 ときわ病院
pp.30-35
発行日 2026年1月10日
Published Date 2026/1/10
DOI https://doi.org/10.69291/cp26010036
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I はじめに
本特集の表題にある「なかったことにしない」というキーワードは,まさしく本稿のテーマに適うものだと言える。なぜなら,「宗教」という領域はセンシティブかつタブー視されやすく,その特性ゆえに被害はしばしば隠蔽され,場合によっては当事者自身にも認識されにくくなるからである(Winell, 2011a)。
「宗教二世問題」のひとまずの定義として,横道(2023)による以下の説明がある――「親が特定の宗教を信奉しており,その宗教儀式や宗教活動の影響によって,子どもの養育,発育,発達,成長に著しい障害が発生する問題」。しかし,当事者の苦境を「宗教二世問題」という概念で規定することは「宗教それ自体が問題なのか」という問いを不可避的に呼び起こす。それでは,「親の宗教的教えと葛藤する子」の問題をどのように表現すれば,当事者にとって有益な(あるいは害の少ない)定義になるのだろうか。
以下,本稿では,「宗教二世問題」と名づけられた問題群の本質を臨床的な視点から探求していく。その際,当事者の利益を無視した抽象論に陥るリスクを回避するため,「よりよい援助を提供する」という現場的関心を手放さずに論を進めたい。

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