- フリーアクセス
- 文献概要
- 1ページ目
筆者は1980年代よりインフルエンザウイルスやサルモネラ感染を中心に感染病態と感染制御における酸化ストレスの研究を手掛けてきた。その中で,研究の対象は活性酸素から一酸化窒素のシグナル研究へ移行してきたが,活性酸素研究に従事する傍ら,3年前に東北大学に異動するまで4半世紀以上にわたり熊本大学医学部で細菌学教育を担当してきた。筆者が細菌の病原性を理解する上で重要であると判断して時間をかけて教授していた事項に『細菌のエネルギー代謝』がある。活性酸素の基礎研究の中で,偶然,このエネルギー代謝を自分自身で改めて勉強することになった。 細菌は嫌気的呼吸・エネルギー代謝を営む。低酸素,無酸素状態で糖を燃料にしてATP(アデノシン三リン酸)を産生する代謝経路であり,解糖,発酵,それと嫌気的呼吸が知られている。細菌はほ乳類(動物やヒト)の細胞と違って酸素以外の電子受容体を使ってグルコースからATPを合成することができる。この代謝経路のおかげで自然界や宿主などの厳しい環境を生き抜き,あるいは生体侵襲性を獲得して病原性を発揮する。発酵は嫌気的な解糖系の一部であって,細菌や酵母(真菌)に固有の,いわゆる基質レベルのATP合成であるため基本的には動物の解糖系と同じ仕組みであるが,嫌気的呼吸は真に細菌に固有のものである。嫌気的な呼吸では,酸素の代わりに亜硝酸イオンや亜硫酸イオン,酸化還元活性のある無機物および有機物(フマール酸など)が電子受容体となって呼吸鎖においてプロトン勾配と膜電位を形成して,これがドライビングフォースとなりエネルギーが生産されると教科書に記載されている。 酸素を使った電子伝達は確かに効率がよい。酸素分子は糖代謝により得られたNADH(還元型ニコチンアミドアデニンジヌクレオチド)の還元力を電子伝達系(真核細胞のミトコンドリアであればComplex Ⅰ)を介してとても効率よく受け取り,自身は最終的に安定な水になるため理想的な反応である。しかしながら,嫌気的な呼吸に使われるとされる物質は酸素に比べて格段に反応効率が悪いため,いつも学生に教えながら本当なのだろかと自問自答しつつ歯切れの悪い講義をしてきた。 筆者らは最新の研究でこの疑問を払拭する新しい電子伝達機構を発見した。これは,活性酸素のシグナル機能を解析する中で,偶然,セレンディピティにより見つかった嫌気的な呼吸・エネルギー代謝である。驚くべきことに,この代謝メカニズムは原始的な細菌から我々ヒトの細胞においても機能しており,これまで見落とされていた生物の根本的な生命の営みであることが明らかになりつつある。実際,この発見により,いまようやく自信をもって学生たちに真の細菌のエネルギー代謝を教示できると考えている。一方で,今回見出された新しい嫌気的エネルギー代謝経路は細菌の生存にとてもバイタルで,増殖や病原性発現に必須の代謝系であることもわかっており,これが病原細菌,多剤耐性菌の創薬のターゲットになるだろうと期待されている。 活性酸素研究という化学療法とは主旨の異なる純粋な基盤研究が一転して出口的に応用展開するという予想外の飛躍的な進展は,ときにNATUREが我々基礎研究者に味方して微笑むという偶発的なセレンディピティを契機により具現化する。このような幸運を長年の地味な基礎研究生活の中から生まれる大きな成果として嬉しく受け止めている。