巻頭言
精神科学は,セレンディピティを超えることができるか
吉川 武男
1
1理化学研究所脳科学総合研究センター
pp.674-675
発行日 2007年7月15日
Published Date 2007/7/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1405101010
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五月初旬,南信の山間を訪れた。三色の桃の花も見事であったが,山吹の黄も鮮やかであった。山吹には,室町時代の武将,太田道灌の山吹伝説がある。『道灌が父を尋ねて越生の地に来た。突然のにわか雨に遭い農家で蓑を借りようと立ち寄った。その時,娘が出てきて一輪の山吹の花を差し出した。道灌は,蓑を借りようとしたのに花を出され内心腹立たしかった。後でこの話を家臣にしたところ,それは後拾遺和歌集の「七重八重 花は咲けども 山吹の実の(みの)一つだに なきぞ悲しき」の兼明親王の歌に掛けて,家が貧しく蓑(みの)ひとつ持ち合わせがないことを奥ゆかしく答えたのだと教わった』(http://ja.wikipedia.org/wiki/太田道灌)。
患者が医者に要望するのは,自分の病を完全に治してくれる治療であり,治療手段の代表的なものが薬である。幸い,現在の精神科医は実(治療薬)の一つだに持ち合わせていない状況ではない。この幸運に与れたのは,1950年代のセレンディピティといえる向精神薬の開発の成功のおかげである。クロルプロマジン,ハロペリドール,三環系抗うつ薬の合成,炭酸リチウムの躁病に対する有効性の発見など,半世紀前の僥倖が今も活用されており,副作用が少なくなったと言われる最近の新薬といえども,開発の薬理パラダイムは基本的に変わっていないと思われる。
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