投稿論文 紹介
仁井田好古の"内外合一"と浅田宗伯の"内外一理" 華岡青洲の医説に関連して
松木 明知
1
1弘前大学 大学院医学研究科麻酔科学教室
キーワード:
肖像画
,
江戸期医学史
,
浅田宗伯
,
華岡青洲
,
仁井田好古
Keyword:
Portraits as Topic
pp.1160-1166
発行日 2022年10月10日
Published Date 2022/10/10
DOI https://doi.org/10.18916/J01397.2023009705
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紀州藩の仁井田好古は1835年に華岡青洲の墓誌銘を撰して,その医説"内科,外科の兼修"を"内外合一"と表現して誤解を招いた。浅田宗伯は1851年の「皇国名医伝」の中でこの句を敷衍して"内外一理"と発展させたため,その意味するところは内科,外科の兼修という青洲の本意から著しく乖離した。のちに医史学の泰斗富士川游が浅田の見解を援用したため,後続の研究者もこれを踏襲し,青洲の謬説普及に拍車がかかった。現在に至る謬説の主因は仁井田の誤った表現にある。
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