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1.はじめに
ポーランド生まれで社会学の根本問題を論じてきたジグムント・バウマンは,2001年に出した著書「Community」(Polity Press,2001;日本語版,「コミュニティ」,奥井智之訳,筑摩書房,2007)で,グローバリズムの蔓延とともに,社会の液状化が起こっているとし,「このままではコミュニティは際限なく衰退していくばかりであろう」と結論づけている.バウマンのこの著書より一年前に出版されたハーバード大学の政治学者であるロバート・パットナムは,大著「Bowling Alone―The Collapse and Revival of American Community」(Simon & Schuster,2000;日本語訳,「孤独なボウリング―米国コミュニティの崩壊と再生」,柴内康文訳,柏書房,2006)で,時間と金銭面でのプレッシャー,移動性,マスメディアやインターネットの進展などによって,アメリカのコミュニティが急速に崩壊しつつあると論じた.パットナムは,アメリカのコミュニティの崩壊はソーシャルキャピタルが失われていることに起因すると主張する.ソーシャルキャピタルの低いコミュニティでは,つながりが希薄で,相手のことを考えての自発的な協力が見込めない.そうすると,みなで全体のことを考えて協力すればよい結果が得られるのに,それぞれが保身的な行動をとったり,無関心を決め込んだりすることになり,結果として,メンバー全員にとって望ましくない状態に陥ってしまう.バウマンやパットナムが憂慮した「コミュニティの崩壊プロセス」は,日本社会でも顕著に進行しているとされるものである.バウマンの著書について評論している松岡正剛(ネットサイト「千夜千冊」1237夜,2008年4月30日)は,「関わりをもたない」「ほおっておいてほしい」「どこにも属さない」という近年の日本社会の若者の傾向も,また,日本社会のソーシャルキャピタルを低くしている象徴ではないかと指摘する.
そんななかで,2011年3月11日に東日本大震災が発生した.大きな被害と沢山の悲劇をもたらした出来事であるが,被災地におけるさまざまな動きやボランティアの活動,企業やNPOなどの支援をみてみると,現代という病に浸食されつつあるように思える日本社会にとって,あたらしい形の「つながり」がさまざまな場面で,場所で発生していることが,いわば,一筋の希望の光のように思えたような気がする.以下では,そのような新しい「つながり」が生まれたいくつかの事例をあげた後で,それらの事例でみられる「自発的な協力」を生みだす「コミュニティのちから」としてのソーシャルキャピタルについて,特に,看護分野と関係の深い健康とのかかわりを中心にして,私自身がかかわっている研究活動を含めたいくつかの実例をあげながらみていきたい.
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